専業主婦になりたかった私がフリーライターになるまで その1~学生時代~
2016年09月07日 公開
よく「なんでライターになったんですか?」と聞かれます。
一言で「文章を書くのが好きだったので」という感じに
スパッと答えられればいいのですが、
私がライターを目指すまでには
たくさんの前提が必要となるので、
すごく長い話になってしまいます(笑)
飲み会なんかで聞かれるならまだいいのですが、
初打ち合わせの時に聞かれてしまうと、
どこから話せばいいのか、
とても難しいんです。
ということで、今さらながらですが
自己紹介も兼ねて
ここに私がライターになるまでを
書こうと思います。
本当に長い話になるので
数回に分けますが、
まずはさかのぼること約20年前。
学生時代の話から始めます。
(ね、長くなるって言ったでしょ(笑))
私は運が良かったのか、
小学校受験をして中学まで国立大学の付属校にいました。
ですが身分不相応というか、
環境は悪くなかったですが
かなり勉学について行くのが大変でした。
それもあって、学生の頃は
本当に勉強をしない人間でした。
三角形の面積とか、化学式とか、
超難しいのに今後社会に役立つのか疑問だったのと、
そもそも自分が興味をそそられないことはやりたくなかったんです。
なので、小学生から中学生までひたすら漫画を描いたり
小説を書いたりと自分が好きな創作活動に打ち込んでいました。
今から思えば、そのときから何かを形にするのが
好きだったのかもしれないですね。
ですが、おかげさまで中学校の成績はほぼオール1。
学校のレベル云々を鑑みなかったとしても、
かなりひどいものでした。
ほんと、今から思えば、義務教育でよかった(笑)
中学を卒業し、私立大学の付属高校に入りましたが
そこでも私の勉強したくないモードは変わらぬまま。
(むしろよりひどくなった(笑))
本当に勉強しなかったので付属の大学には当然行けず、
結局定員割れしている私立大学になんとか入学できました。
全然勉強する気がなかったのですが、
両親がどうしても大学だけは行くべきだと言うので
親に敷いてもらったレールに乗って
とりあえず大学に入ったんです。
(あ、コネではなくちゃんと受験して入りましたけどね)
まぁでもこれで4年間遊べるな、くらいに思っていたわけですが、
実はこの『大学』が私にとってぴったりの勉強システムだったことに
入学してしばらくして気が付きました。
好きなことしか勉強したくなかった私は、
逆にいうと好きなことは自分からガンガン掘り下げるタイプ。
なので、大学のような自分に興味のあるものを
自由に取っていける授業スタイルは、とても私の性に合ったんです。
そこで前から興味があった日本語教育と出会い、
勉強の仕方、勉強の楽しさ、新しいことへの挑戦、達成感、自信を手に入れました。
なんだ、私もやればできるじゃん。
あのとき、そう思いながら日々を過ごしていた気がします。
しかも教師という立ち位置は、
私の好奇心を刺激し、アドレナリンがガンガン分泌されました。
自分の知識を人に与え、
理解させる、成長させる手助けをするということが
自分の性と信念にぴったりはまっていると感じたんです。
「よし、私は教師になろう」
そう決意しました。
しかし、日本語教師はなかなか枠がないのと
異国語が話せなかったこともあり、
教師ならなんでもいい!と就職活動を開始。
結局、某有名パソコンスクールの
インストラクターになったのです。
が、ここでの経験はまさに地獄でした…。
その2へつづく。
一言で「文章を書くのが好きだったので」という感じに
スパッと答えられればいいのですが、
私がライターを目指すまでには
たくさんの前提が必要となるので、
すごく長い話になってしまいます(笑)
飲み会なんかで聞かれるならまだいいのですが、
初打ち合わせの時に聞かれてしまうと、
どこから話せばいいのか、
とても難しいんです。
ということで、今さらながらですが
自己紹介も兼ねて
ここに私がライターになるまでを
書こうと思います。
本当に長い話になるので
数回に分けますが、
まずはさかのぼること約20年前。
学生時代の話から始めます。
(ね、長くなるって言ったでしょ(笑))
私は運が良かったのか、
小学校受験をして中学まで国立大学の付属校にいました。
ですが身分不相応というか、
環境は悪くなかったですが
かなり勉学について行くのが大変でした。
それもあって、学生の頃は
本当に勉強をしない人間でした。
三角形の面積とか、化学式とか、
超難しいのに今後社会に役立つのか疑問だったのと、
そもそも自分が興味をそそられないことはやりたくなかったんです。
なので、小学生から中学生までひたすら漫画を描いたり
小説を書いたりと自分が好きな創作活動に打ち込んでいました。
今から思えば、そのときから何かを形にするのが
好きだったのかもしれないですね。
ですが、おかげさまで中学校の成績はほぼオール1。
学校のレベル云々を鑑みなかったとしても、
かなりひどいものでした。
ほんと、今から思えば、義務教育でよかった(笑)
中学を卒業し、私立大学の付属高校に入りましたが
そこでも私の勉強したくないモードは変わらぬまま。
(むしろよりひどくなった(笑))
本当に勉強しなかったので付属の大学には当然行けず、
結局定員割れしている私立大学になんとか入学できました。
全然勉強する気がなかったのですが、
両親がどうしても大学だけは行くべきだと言うので
親に敷いてもらったレールに乗って
とりあえず大学に入ったんです。
(あ、コネではなくちゃんと受験して入りましたけどね)
まぁでもこれで4年間遊べるな、くらいに思っていたわけですが、
実はこの『大学』が私にとってぴったりの勉強システムだったことに
入学してしばらくして気が付きました。
好きなことしか勉強したくなかった私は、
逆にいうと好きなことは自分からガンガン掘り下げるタイプ。
なので、大学のような自分に興味のあるものを
自由に取っていける授業スタイルは、とても私の性に合ったんです。
そこで前から興味があった日本語教育と出会い、
勉強の仕方、勉強の楽しさ、新しいことへの挑戦、達成感、自信を手に入れました。
なんだ、私もやればできるじゃん。
あのとき、そう思いながら日々を過ごしていた気がします。
しかも教師という立ち位置は、
私の好奇心を刺激し、アドレナリンがガンガン分泌されました。
自分の知識を人に与え、
理解させる、成長させる手助けをするということが
自分の性と信念にぴったりはまっていると感じたんです。
「よし、私は教師になろう」
そう決意しました。
しかし、日本語教師はなかなか枠がないのと
異国語が話せなかったこともあり、
教師ならなんでもいい!と就職活動を開始。
結局、某有名パソコンスクールの
インストラクターになったのです。
が、ここでの経験はまさに地獄でした…。
その2へつづく。