2ntブログ

官能小説|雪の幻 Sec.4 何かが始まるとき

Sec.4 何かが始まるとき

松田との約束の日。

仕事での約束とはいえ、
会えると思うと、雪菜は喜びと緊張を感じずにはいられなかった。
まるで小娘のようだ、と苦笑いをかみしめながら、会場となる駅ビルの地下に向かう。
地下とはいえ、冷たい風が外から入ってきて、雪菜は思わずコートの襟を立てた。

今回のイベントは、駅ビルの地下スペースでブースを作り、
広告でジャックすることになっている。
たくさんのOLが通る場所だけに、
女性をターゲットにしている化粧品販売の効果は絶大だと踏んでいる。

雪菜が現場に行くと、すでに松田がいた。
そしてその横にはタイアップ会社の女性担当者がいた。
先に女性担当者と話していることに、ほんの少し胸がくさくさしたが、
何食わぬ顔で声をかけてさっそく打ち合わせを行った。

予定のブースの大きさや、位置、人の流れなどをチェックし、
会社の資料用に写真を撮ったりと1時間弱を確認作業に徹した。
ある程度情報がそろったところで、解散となった。

女性担当者は一度社に戻ると言って帰っていき、
ついに松田と二人きりになった。
何か話すべきだと思ったとき、松田の方から声をかけられた。
「井上さんも会社に戻られるんですか?」
「いえ、私はもう帰るところです。」
この後の松田のセリフに期待しつつ、
努めて冷静さを装って言った。
「そうですか。じゃあもしよろしければお食事でもいかがですか?もう何か召し上がってますか?」
「い、いえいえ、大丈夫です。是非ご一緒させてください」
来た。
そう思った瞬間、雪菜は少し動揺したが、
素直に喜びがこみ上げて笑顔があふれた。
「寒いですよね。温かいものでも食べましょうか」
「そうですね。いい店、ご存知ですか?」
「うーん、先日友人に教えてもらったおでん屋さんがあるので、そこにしましょうか」
そう言うと松田は寒そうに手をこすり合わせてふう、と息を吹きかけながら、歩きだした。
そんなに背は高くないが、襟を立てたトレンチコートを翻しながら歩く後ろ姿に
ふわりと漂う色気を感じた。
5分程度簡単な会話をしながら並んで歩き、
案内されたのは路地裏にある古民家風の小洒落た店だった。


話して感じたのは、松田は純粋でまっすぐな青年だということだった。
年は25歳とまだ若いが、話し方は落ち着いていて、とても居心地がよかった。
ただ、どんなに笑顔で話していても、
やはり目の奥には彼の孤独感や悲しみが残っていた。
それが何なのかを知りたいと強く願ったが、
憂いをおびた瞳がちらりと動くたびに欲情する自分も感じていた。
こんなことは初めてだった。

まだ知り合ったばかりで且つクライアントということもあり、
その日は深入りしない範囲で仕事中心の話をし、楽しくお酒を飲み交わした。
雪菜が仕事の話に夢中になっていると、
「井上さんはいつも輝いて見えますね」
と松田が目を細めながら言った。
「えっ?やだ、からかわないでください」
雪菜はめったに言われないような言葉に面映ゆい気持ちになり、
はにかみながら手にしていた梅酒のロックを煽った。

その日の帰り、雪菜はとんでもなく上機嫌だった。
何かが始まる…そんな予感が心の底で渦巻いていた。
関由佳
Posted by関由佳

Comments 0

There are no comments yet.